カジノの歴史について

ついに2018年にIR法が成立した日本、すでに世界ではカジノが合法では無いという国の方がかなり少なくなっているのです。

そもそもの始まりはヨーロッパと言われており、公営カジノは13世紀にドイツで生まれたのでした。
そして1638年にイタリアに出来た「カジノ・ディ・ヴェネツィア」が誕生したことからこの言葉が広まったのです。
つまりはイタリア語由来、Casaカーサすなわち「小さな家」という言葉に縮小を表す語尾のInoイノがくっついた造語です。

 

フランス革命以降に庶民にもカジノが広まった

それ以降、ヨーロッパ各地に施設は作られ19世紀にはモナコ公国にまで広まりました。
ただしそのころは上流階級の社交場という意味合いが強かったので、庶民たちは入ることは出来ませんでした。

庶民たちもとなるとフランス革命以降です。
革命で上流階級の地位が失墜したことで身分差が薄れてきたのです。
その時に革命家たちが目を付けたのがカジノ、運営権を手に入れて課税することを思いつきその利益に注目が集まったのです。
ナポレオンも禁止令を出していたものの税収が減っていくことで次第に認めるように、国によって政府公認で課税されたり逆に政府自体が規制したりと今と変わらない現状となりました。
一攫千金を狙うロマンやゲームの楽しさというよりも財政的な理由が多かったよう、今の日本が法案を成立させたのも同じ理由です。

 

現在はヨーロッパの多くの国が公認している

現在はヨーロッパの多くの国が公認としています。
そしてヨーロッパがそれぞれの植民地に定着させてといった形で世界に広まりました。
身分の差や国に関係なく楽しめることで、日本からもラスベガスやマカオといった都市にギャンブルをするために多くの人々が訪れています。
現在の計画通りに進めば2025年・ちょうど大阪万博の年に日本のIR施設も完成オープンすることでしょう。
そうなれば、世界の人々がやってくるはずです。
その経済効果はとても大きいもの、更には雇用の増加といったメリットも期待できます。

 

ラスベガスで合法化されたのは1931年

ちなみに、カジノと言えばで思い浮かべるラスベガスで合法化されたのは1931年です。
途中はその周辺のマフィアが大きく関わり組織間の抗争まで行われる危険な状況でした。
しかしながら1960年代以降に取り締まりを強化、大富豪や社会的に安全な会社が経営する方式へと変わりました。
見事クリーンな現在の状態へとうまく変貌を遂げることが出来たラスベガス、町全体がひとつのテーマパークといった雰囲気でホテルやショーを含めて楽しむことが出来るのです。
ここでの成功例をモデルに、世界各国が真似するようになっています。

 

2005年にシンガポールでカジノが合法化される

比較的最近合法化されたのはシンガポールで、2005年のことです。
それ以降の経済成長は目覚ましく、マリーナベイサンズは日本でも知名度が高いです。
合法になったけれども必ず政府の主導で行い、海外観光客の身をターゲットとしたリゾート作りを行うことで反社会的勢力の危険度を下げるようにしたのです。
シンガポール国内にあるのはマリーナベイサンズと、後はリゾートワールドセントーサのみです。
どちらもギャンブル色は低く、それよりも統合型リゾート施設としての意味合いが強いのです。
ギャンブルを楽しみたいという方には物足りないかもしれませんが、安全性も高く家族で観光で訪れて満喫するにはピッタリです。
カジノ経営を害し企業に任せてというのも先進国にしては珍しい所、ただノウハウを持つ企業に任せたがゆえに経営は成功、その収益はシンガポールにとって重要なものとなっているのです。

 

まとめ

今後更に進んでいく日本のIR計画、世界の例をヒントにして日本に大きな経済効果をもたらす存在となっていくことでしょう。
メリットと同時にデメリットもあるので、慎重に進められています。